2011/09/01

武田神社(Takeda Shrine)

甲府駅を降りて北口から真っ直ぐ北に延びる道が武田通りで、約2キロ北に進むと突き当たりになり、そこにあるのが武田神社だ。

武田神社は、元々は武田家の館跡で、躑躅ヶ崎館とも呼ばれる。
武田家は本拠地に城を造らなかった。でも、決して城嫌いというわけではなく、出先には城を築いているし、躑躅ヶ崎館の更に北側には要害山という山があり、城があった。
keiの推測だけど、甲府盆地は周りを山に囲まれ、これが天然の防御施設となっていたので、無理に城を造る必要がなかったのだと思う。また、御所風の館を造ったのは、都に対する憧れで、田舎に京都を再現したかったのだとおもう。そして、いざとなったら「裏山へ逃げてしまえ」ってな考えだったのだろう。
武田信玄は、甲州軍団、武田24将、騎馬軍団、風林火山、山本勘助など多くの伝説があり、創作の部分もあると思うが、地域の人間にとっては夢があってイイ。

武田家が滅んだ後、豊臣、徳川による統治が始まり、甲府城が造られ、館跡は放置されていたが、地元では「御館跡」などと呼ばれ偲ばれていたという。明治維新になると、甲府城は廃城となり、堀が埋められ、石垣が壊されたのとは逆に、躑躅ヶ崎館跡については、史跡保存の動きが始まり、大正時代には武田信玄を祀った神社が造られた。当時の政治的配慮もあったのだろうけど、県民の多くの気持ちでもあったと思う。

現在は、子供のお宮参り、七五三、車のお祓い、初詣など何かにつけ行くことが多い。keiは、月に1,2回、犬の散歩で行くのだけど、周りには緑が多く、家臣の屋敷跡などがあり、見所は多い。
Shinto shrine
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